『仮面舞踏会の夜』前編

著・氷高颯矢





それは、深い森を半分ほど進んだ時に起きた。

「リュートのバカ!もう知らない!」
「勝手にしろ!」

 たわいもない、いつものケンカのはずだった。
 まさか、こんな風にはぐれるなんて思いもしなかったから…





「――リュートのバカ!意地悪!分からずや!…(以下略)」

 思いつく限りのリュートの悪口を並べ立て、どんどん進んでいった。
 茂みの中を突っ切って、拓けた道に出た瞬間――!

「危ない、避けて!」

「えっ?きゃあっ!――…?」

 咄嗟に身構えるが、何もない。恐る恐る目を開けると、空馬がいた。
 鞍などの造りをみると上等なもので、冒険者などが手を出せるレベルではなかった。その主はというと…

「いったた…あ、良かった。怪我はありませんね?」
「…はい。あの、貴方こそ大丈夫ですか?」

 馬の後方23cel(2.3m)ほど離れた所に倒れていた。
 駆け寄って手を貸してやる。

「すみません…」
「そんな、急に飛び出したあたしの方が悪いんです!」
「僕は馬から落ちるのは得意なんです。だから、平気ですよ」

 青年は穏やかな笑みを見せた。育ちの良さが現れていた。

「ところで、貴方はこの森で何をしていたんですか?」
「えっ?その…旅をしている途中で、リュートと…一緒に旅をしてる仲間とはぐれちゃって…」
「成るほど…女性一人の冒険者なんて、ちょっと危ないですからね。でも、この森を抜けた先には僕の…いえ、僕の住んでいるアンセムの町があるくらいですから、仲間の方もそこに来るでしょう」

 青年は颯爽と馬に乗ると、手を伸べた。

「さぁ、乗ってください。街まで送ります」
「でも…」
「森の中でレディを置き去りになんて、男が廃ります」

 レディなんて言われて嬉しくない女性が居るだろうか?

「じゃあ、お言葉に甘えて…」

 その手を取る。ひ弱そうに見えてもそこは男、グイッと馬上に引き上げられる。

「僕は、フレット=アルヴェルティ。よろしければ、貴方の名前も聞かせてもらえますか?」
「あたしはティリス。ティリス=ラーファルトって言います」
「ティリス…良い名前だね」



 森を抜けると小さな町が見えた。
 ちょうど丘陵地の頂上にあたるようだ。
 葡萄畑や石畳の道、商家の屋根などが見えた。

「長閑な所でしょう?ここはあの湖…レミ湖が有名で、避暑地になっているんだ」

 町の向こうにキラキラと輝く湖が見えた。

「どうしてこの町を通る必要があるか、わかりましたか?」
「あの、湖ですか?」
「そう。湖の対岸にはマルカートという大きな街があるんです。湖を迂回して行くと遠回りになる。だから、渡し舟を使うんです」

 成るほど…とティリスは思った。

「仲間の方と合流するまで僕の家に滞在するといい。こうして知り合った縁です。招待しますよ」
「いいんですか?」
「大した家じゃないですけど…」
 フレットはそう言って微笑んだ。



――嘘つき〜!)

 フレットの家に招待されたティリスは内心でこう叫んだ。
 何故なら、大した家じゃないと言ったのに、目の前のこの屋敷は城とまでは行かなくても、離宮という形容が似合う立派なものだったからだ。

「若君、こちらは…?」
「旅の方だ。同行者とはぐれたらしい。僕が招待したんだ」
「若君の教育係を勤めさせていただいています、ロタと申します。お部屋を用意させますので、しばらくサロンでお茶でも飲んでお待ち下さい」

 ロタは一礼して、屋敷の奥へ引っ込んでしまった。

「ロタもああ言ってる事だし、お茶にしようか?」
「…は、はい」

 少し緊張しながら屋敷の中に入る。
 中も調度品一つとっても高価なものばかり、上品でこんな小さな街には不似合いな気さえする。

「どうかした?」
「あの…何かびっくりしちゃって…」

 席を勧められて座るが落ちつかない。

「やっぱり、似合わないかな?」

 フレットは寂しそうな表情をした。

「僕はこの国の者じゃないから、浮いてるんでしょう?」
「えっ?」

 言われてみて、じっくりとフレットを見る。
 抜けるように白いとはこういう事かと思うほど、肌の色が白い。
 日焼け以前の問題で、生まれついてのものだ。
 髪の色は銀、瞳はアクアマリン。
 服装こそ普通だが、その容姿は王子様といって差し支えないものだった。

「服装を変えてみても、そう簡単に馴染めるものじゃないよね。僕の父はとある国の貴族でね、母親はこの地方出身の歌姫だった。僕の父は、奔放で自由な母に惹かれ、僕が生まれた。生活は幸せだったけど、無理があった。貴族の父と、平民である母とでは生活習慣が違う。古いしきたりや周囲の冷たい視線に母は体調を崩し、亡くなってしまった。最期までここに帰りたいと願った母の希望を代わりに叶えてあげたくて…」
「それで、ここに?」
「でも、もう5年も経つんだ。それなのに、僕はいつまでも変われないでいる…」
「変わる必要があるんですか?」

 その言葉にフレットは頬を赤らめた。

「その…好きな人が、居るんです…」
「――!それで、その人のために変わりたいの?」

 ティリスの言葉にコクンと頷くフレット。

「彼女は、母と同じこの町に住むごく普通の女の子で…母のように無理をさせるくらいなら、 僕が彼女の暮らしに合わせられたらって…」
「素敵!あたし、応援します!」
「ありがとう…でも、もっと大きな問題があって…」
「えっ?」

 フレットは申し訳なさそうに、

「まだ、僕の片想いなんです…しかも、彼女が誰なのか判らなくて…」
「え〜っ?!」





 ティリスとはぐれてから随分と経った。
 アンセムという町に着き、様子を見たが、ここには居ないように見えた。

(一人で先に進むなんて、ティリスがするとは思えないな…また、何か妙な事に首を突っ込んでなければ良いが…)

 町の人に話を聞くと、どうやら湖を渡った先に大きな街があり、そこへ行くには渡し舟に乗る必要があるらしい。
 迂回する方法もあるが、時間が掛かるとの事だった。

「湖まで行ってみるか…」

 町の外れに林があり、その奥が湖だという。
 林というには大きく、森に近い雰囲気だ。
 だが、光が多く差し込む為、森のように暗いじめじめした感じはしなかった。

「きゃあ!」

 女の叫び声がして、声のする方向に向かう。

「おい、どうした?!」

 ティリスかと思ったが、違った。
 キラキラと輝くその髪はハニーブロンド。
 だが、無残にも肩にも届かないくらいの短さに切られてしまっている。

「蛇が…!」

 足元に蠢く蛇、それは毒を持っている類いのものだった。
 リュートはナイフを取り出し、足で蛇を踏みつけた上で刺し殺した。

「どこか、噛まれていないだろうな?」
「えっ?」
「今のは毒蛇だ」

 少女は左の腕を見た。
 服の袖が破れ、肌が露出しているその部分に、赤い痕が二つ。

「腕を貸せ、見せてみろ」

 素直に腕を見せる。
 リュートは腕を取ると、中途半端に破れた袖を破き、それを紐に見立てて噛まれた痕より上の位置で縛る。

「痛…!」
「毒が回らないようにする為だ、我慢しろ」
「わかった…――ひゃっ!」

 驚いた声をあげるのも当然だった。
 初対面のこの冒険者風の男が急に噛まれた痕に口をつけたのだから…。
 肌に吸い付く感触が羞恥心を煽る。血を吸い出すとその場に吐き捨てる。
 それを何度か繰り返す。

「…毒は全て吸い出せたとは思うが、あいにく毒消しを切らしていてな。早く手当てをしたほうが良い」
「うん…ありがとう」

 少女は礼を言った。

「ねぇ、湖に行くの?」
「そうだが…」
「舟は3日は出ないよ。この町に住む貴族の人が舞踏会を開くんだ。みんなその準備で忙しくて渡し舟どころじゃないんだよ」

 少女が困ったような表情をしたので、リュートは不思議に思った。

「どうして、たかが貴族の遊びに町中が騒ぐ事がある?」
「結婚相手が選ばれるんだ。
この町に住む女の子の中から…条件は適齢期の未婚の女性、それだけ。身分も財産も関係ない。だから、みんな必死なんだ」
「お前も、その舞踏会とやらに行くのか?」
「そこに行くにはエスコートをする相手が必要なんだ。私はエスコートする方なんだ…」

 少女の服装は少年の物。無残に切られた髪も、どこか違和感を覚える。

「そうだ。よかったらウチに来るか?宿屋も開店休業みたいなものだし、夜露をしのぐくらいのもてなししかできないが…」
「そうだな、ありがたく世話になる」

 リュートはあまり社交的な方ではない。
 初対面の人間に打ち解けて話ができるほど器用じゃなかった。
 だが、この少女は緊張感や警戒心がまるで湧かない。

「名前、何て言うの?私はイオニア」
「リュートだ」

 少女の瞳が青と緑に輝く。不思議な出会いだった。



 少女の家に着くと、そこにはそっくり同じ顔をした少女が居た。

「驚いた?双子の姉のエオリアだよ。良く似てるけどこっちの方が美人でしょ?」
「イオニア、この方は?」
「リュートって言うんだ。さっき蛇に噛まれた所を助けてくれたの」

 エオリアは蒼ざめながらイオニアを見た。

「大丈夫だよ。心配ないって。それより、リュートにお茶でも入れてあげて。これでも私の恩人なんだからさ」

 エオリアはハッとして、

「ありがとうございます、妹を助けていただいて…」

と、リュートに礼を言った。

「いや…」
「お礼に泊めてあげても良いでしょ?宿屋、閉まってるし」
「…そうね。今、宿屋さんも営業してないみたいだし、うちに泊まってもらうのが良いわね。女だけの粗末な家ですけど、ごゆっくりなさって」

 エオリアは台所へお茶を淹れに行った。

「ウチの両親、随分前に死んじゃったんだ。だから、今は私達二人だけ。だから、私がエスコートして、お姉ちゃんに幸せを掴んでもらうの」
「それで、髪を?」
「それもあるけど、男の子の礼服って持ってないし…、それを作る材料のお金にしちゃった」

 確かに、イオニアの髪なら高く売れるだろう。
 エオリアの腰まで伸びた髪を見たリュートは、髪を切る以前の姿を易々と想像できた。

「その衣装はもう作ったのか?」
「まだだよ」
「じゃあ、それでドレスを作れば良い」
「ちょっ…何言ってるの?じゃあ、誰がエスコートするのさ」

 イオニアはハッとした。

「俺がその役を引き受けてやる」
「でも、もう遅いよ…髪だってこんなだし…」
「そうよ!そうしましょう!
リュートさんの服ならお父さんのものに手を加えるだけで良いし…イオニアだって女の子なんだもの。舞踏会に行きたいでしょう?」

 イオニアは複雑な表情をした。

「でも…」
「決まりだな」





 フレットの屋敷でティリスに用意されたものは、美しい調度の部屋と、…ドレスだった。

「ああ、良く似合いますよ」
「ありがとう。でも、泊めてもらう上に、こんなドレスまで用意してもらって、何だか悪いわ…」
「来客用の物ですから、気にする必要はありませんよ。そうだ、明後日の夜に舞踏会があるんですけど、ティリスさんも是非出席してくださいね」

 舞踏会という言葉を聞いて、ときめかない筈がない。
 ただ、その時に隣にいて欲しい相手はここにはいないだけで…。
 だが、フレットの恋に協力する事を決めたからには、舞踏会だろうとなんだろうと何でも来い!と気合を入れた。

「こんな素敵なドレス…着てる姿、リュートが見たらどう思うかな?」
(似合ってる?それとも…)





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