『霧深き森の幻』

著・氷高颯矢





 ルルドの森には違う世界に繋がっているという伝説がある。それも決まって七の月、闇の日。森は深い霧に覆われる。



「ねぇ、リュート。伝説って本当にあるのかな?」
「さぁな。だが、ここを通らないと次の町に着かない。通るしかないだろう」
「違う世界なんて…何か怖い。それにこんなに霧が深いと…」

 ふと、気付く。目の前を歩いていたリュートの姿が見えない。おまけに霧に囲まれてどちらの方向に進めば良いのか見当がつかない。

「リュート、どこ〜?」





 一方、リュートも同じくティリスの気配がなくなっていることに気が付いた。だが、霧のせいで何も見えない。

「お〜い、どこに居るんだ?」

 若い男の声がする。同じように連れとはぐれでもしたのだろうか?

「あれ?」

 若い男の髪は空色をしていた。奇しくもティリスと同じ髪の色だった。

「あんたも旅してるの?俺もそうなんだけど…大事な連れとはぐれちゃったみたいでさ」
 人懐っこそうな笑みを見せる。

「この霧だ。むやみに歩き回るのは良くないんじゃないのか?」
「確かにね。でも心配なんだ。不安なんだよ。彼女はいつもどこか遠くに行ってしまいそうで…少しでも離れるのはイヤなんだ。本当はこうやって旅をしてるのも、俺が無理やりついて来てるだけだし…って、初対面の人に何話してんだろ?変ですよね?」
「いや。初対面で、旅の途中すれ違うだけの人間の方が話しやすいという事もあるんじゃないか?」

 警戒を解いて柔らかい表情になったリュートを見て、彼は気が付いた。

「そうか、初対面っていうのにあんたの事身近に感じるのって、俺の連れ――リーフに似てるからなんだ…」

 感心したように呟くと、手を差し出した。

「俺はティルト。ここで会ったのも何かの縁だ。霧が晴れるまでご一緒しませんか?」
「もしくはお互いの連れを発見するまでか?」
「ええ!」

 リュートはティルトの手を取った。

「俺はリュート。リュート=グレイだ」
「よろしく、リュート」

 人懐っこい笑顔を向けられて、リュートは少し困ったようなぎこちない笑みを返した。





 一方、ティリスはというと闇雲に歩いていた所為か完全に獣道のような場所を彷徨っていた。

「どこにいるの〜!リュート〜!」
(――えっ?)

 ぬかるんだ地面に足を取られ、斜面を滑り落ちる――!

「きゃぁぁぁっ!――あれ?」
「早く…そこの木の根に足をかけて登って」

 女性にしては低いハスキーな声にドキッとする。腕を掴まれて、ティリスは引き上げられた。

「ありがとうございます!」
「…いや。それより、男を見なかったか…あ〜、その、お前に良く似た髪の色をした…」

 何故か照れながら彼女はティリスに話しかける。

「いいえ。じゃあ、あたし達、迷子同士ですね!」
「…迷、子」

 無邪気なティリスに彼女は困ったような表情をした。

「あたしはティリス。ティリス=ラーファルトって言います。お姉さんは…」
「俺は…リーフだ。リーフ=アッシュ」
「ふふっ…♪」

 ティリスが突然笑い出した。

「何か…おかしな事でも?」
「いいえ、違うんです。何だかリーフさんってリュートと似てるな…って」
「リュート?」
「あたしが一緒に旅をしてる人――というか、あたしが一方的に付いて回ってるんですけどね…」

 ティリスはリュートと旅をする事になった経緯を簡単に説明した。

「ふぅん…片想いというヤツか…」

 リーフがズバリ指摘するのでティリスは真っ赤になった。

「…アンタは素直で可愛いな。リュートという男は幸せだ」
「リーフさんは?リーフさんは恋、してます?」
「恋…そういうものとは縁が無い。する気もない。だから、想われるのは気が重い…」
「あたしと逆…そっか、じゃあリュートもそう思ってるのかな?」
「そんな事は無い!…と、思う。俺の場合、正直…どうしていいかわからないんだ。アイツは…未来もあって、仲間がいて…帰る場所がある。でも、俺の傍にいる事でそれを全て失うかもしれない…そんな事は望まない。だが、俺は隣に誰かが居てくれる温かさを知ってしまった。前の様に突き放す事ができなくなってしまったんだ…」

 リーフは俯いてしまう。

「それって…好きだって告白してるようなものだと思いますけど?」
「なっ…!そ、そう…なのか?」

 真っ赤になるリーフをティリスは可愛いなぁと思う。

「リーフさんはきっと怖いのね。相手の人に自分からサヨナラは言えなくて、でも、想いに応えてしまったら、いつか失ってしまうのかもって不安を感じる事を怖がってるのよ」
「怖い…怖い、か。そうなのかもしれないな」
「でもね、考えてみて?相手の人はきっと同じ位…ううん、もっと大きな不安を抱えてると思う。それでも、本当に好きになったら――そんな不安も怖がってられないくらい一生懸命になっちゃうと思うの。相手のことしか見えなくなるから」
「お前は…強いんだな」
「強くはないけど…リュートを好きっていう気持ちは誰にも負けない自信がありますよ」

 ふと、ティリスの笑顔が誰かと重なって見えた。

「俺と、そのリュートとやらが似ているなら…お前の想いはいつか届く。俺も…少しだけ、素直になってみたいと思い始めているからな…」

 リーフが優しく微笑んだ。そして、懐から小さな笛を取り出し、吹き始めた。

「えっ?この曲――」





 リュートとティルトは木の幹に印を付けながら歩いていた。

「リュートさんは何を犠牲にしても守りたいものってありますか?」
「――さぁ、考えた事もないな」
「俺は、リーフの事を守りたい。ただ、それだけなのに――彼女は自分から荊の棘に飛び込んじゃうんですよ。傷付けるなら、俺を傷付ければ良いのに…自分ばっかり傷付いて…」
「不器用なんだな」
「本当にね。俺、こう見えても我慢強いっていうか――待つのには慣れてるんですよ。でも、最近――追えば追うほど彼女が離れてしまうような気がして…」

 ティルトは唇を噛み締めた。

「傷付きたがるのは本当は傷付くのが怖いんだ」
「えっ?」
「自分で傷付けた傷はそれほど心を蝕まない。予防線を張っていれば――本当に傷付いた時、痛みに慣れる事ができるからな」
「そんな…!俺が、彼女を傷付けるなんて――ありえない!」
「例えそうでも…そうなるかもしれないという不安はどうしようもない事だ」

 ティルトは俯いてしまう。リーフは自身の心の内を語りたがらない。だから、自ずとティルトはリーフの仕草や瞳の動きで彼女を理解しようと努め、実際、言葉はなくても二人は通じ合える瞬間が何度もあった。記憶を辿れば、リーフの瞳にはいつもどこか暗い色を宿してなかったか?それがリュートのいう不安だったのだろうか?

「それくらいで落ち込んでいてどうする?不安というのは――つまり、期待の裏返しだ。不安になるという事はそれだけお前に期待している――お前の気持ちがまんざらでもない証拠だ」
「本当ですか?!」

 突然ティルトがリュートの胸倉を掴んで詰め寄った。

「…あぁ、多分」
「…多分。多分じゃダメなんですよ!多分じゃ!あ〜、でも――」

 ティルトはそこで言葉を切った。そして、胸倉を掴んでいた手を放すと、

「俺、やる気出ました。ありがとうございます」

と、微笑った。

「人騒がせなヤツだ…」

 リュートも苦笑する。その時――。

「この曲は――!」

 聞こえてきたのは笛の音色。そのメロディーは耳に馴染んだ遠い思い出の曲。

「リーフだ!リーフの笛の音だ!」

 音の方へ駆け出すティルト。リュートもその後を追った。

「リーフ!」

 霧の向こうからリーフを呼ぶティルトの声がした。リーフはハッとして笛を下ろした。声のした場所はもう目と鼻の先というくらい近い。霧と草木が邪魔で見えないだけで、すぐ傍にいる事が判った。

「ティルト!」

 リーフは駆け出した。ティリスもその後を追いかける。





「リーフ!」
「ティルト!」

 茂みを掻き分けるとそこに探していた相手が居た。

「良かった…こんな霧の時にはぐれたんで心配したん…」

 ティルトは言葉を失った。リーフが自分から腕の中に飛び込んできたのだ。

「付いて来ると言ったのに…お前がはぐれてどうする」
「えっ?はぐれてって…俺の所為〜?」

 ティルトはおどけてみせる。リーフの憎まれ口は機嫌の良い証拠。

「――わかったよ。じゃあ、今度から見失わない様にこうして抱いて歩こうか?」

 ティルトはニヤッと笑った。

「なっ…!馬鹿、放せ!」

 真っ赤になって束縛を解こうとするリーフを満面の笑みでティルトは抱きしめる。

「ヤダよ。放したくない。放したら怒ってまたどこかに行っちゃうでしょ?」
「…馬鹿者。どこにも行かん。だから、腕を解け――」

 しぶしぶティルトが腕を解くと、リーフは顔を真っ赤にしたまま、ぎこちない仕草でティルトの片方の腕を取った。

(素直になると…言ってしまったからな…)

 心の中で、呟く。そして、その手に自分の手を握らせる。

「――こうしておけば…見失わなくて済むだろう…?」

 恥かしいのか顔を背けるリーフ。でも、その手はしっかりとティルトの手を握っていた。

「好きだよ、リーフ」
「…そういう事は軽々しく言うものじゃない!」
「本当のことなのになァ…」





 霧の中に金色の髪を見つける。
「リー…リュート?」

 リーフだと思って駆け寄った先にはリュートが居た。

「ティリス…そうだ、こっちに蒼い髪をした男が走ってこなかったか?」
「ううん…それより、リュートこそ金髪の女の人、見なかった?」
「いや…」

 二人とも、周囲を見渡すがそれらしい人影は見えなかった。

「まぁ、いい。それより、今度こそはぐれるなよ。お前は何度迷子になったら気が済むんだ?」
「だって…」
(でも、そのたびリュート、あたしを探して迎えに来てくれるよね…)

 俯くティリスの目の前にリュートの大きな手が差し出された。

「行くぞ、ティリス」
「――うん!」

 ティリスは喜んでその手を取った。リュートが手を繋いでくれるなんてどういう風の吹き回しだろうと思ったが、この霧の中、また迷子にならないようにと差し伸べられた優しさに甘えようと、ティリスは思った。

(あの人は、探していた彼に会えたのだろうか――?)

 不器用でどこか自分たちに良く似た関係をした二人。もしかしたら、この森の伝説の通り、違う世界から来た自分たちだったのかもしれない。ふと、そんな事を考えた。
 霧深き森が見せた幻は二人に小さな幸せをもたらしたのである。お互いの心の距離は、気が付かないうちにどうやら少しだけ縮まったようだ。



 END




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著者コメント

「風のリュート」「空の恋人」の主役たちが、もし、出会ってしまうとどうなるのかな? って思って書いてみました。
 僕が書くリュートはお兄ちゃん属性持ってるんでしょうか? ティルトにも良いお兄ちゃんになってるよ! と、ちょっとびっくり。
 でも、ラブラブ度は「空の恋人」の二人の方が絶対高いですよね……。年の差が少ないからからな……?


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原作者コメント

 「空の恋人」とは、氷高颯矢ちゃんが書いた「風のリュート」のパラレルワールド。
 設定・ストーリーの流れはそのままで、リュートたちの性別を逆にさせたらどうなるか? ……という発想で生まれた作品。
 つまり、リュート(男)=リーフ(女) ティリス(女)=ティルト(男)……です。
 この性別逆転ヴァージョンの小説「空の恋人」は、颯矢ちゃんのサイトで読めます。

 それにしても、ラブラブだねv 特にティルト×リーフのほうが(笑)。
 七の月、闇の日なら、まだ二人旅を始めて一月半くらいなので、リュートたちのラブラブ指数が低くても、設定的にむしろOK。
 私も久々に、リュートたちが描きたくなったよ♪


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